ヘルシーライフデザイン協会【株式会社dreamin】

代表みやなりちあきとは

代表理事のみやなりちあきってどんな人?

ヘルシーライフデザイン協会って?

 

と、思われていますよね。

 

私は、教室運営未経験の方の、ゼロを1にして、長く愛され、10年続く、「教室の土台作り」をサポートする、教室開業コンサルタント、米粉・グルテンフリー・アレルギー対応料理研究家、ヘルシーライフデザイン協会代表理事のみやなりちあきです!

 

 

料理教室開業10年、米粉研究歴10年、子どもが0歳の時に料理教室を立ち上げ、レッスンを継続、述べ1300名の受講生を指導してきました。

 

現在、米粉の専門家、料理教室開業コンサルタント、

SNS集客コンサルタント、

台本営業®︎トレーナーとして活動しています。

 

 

私は、岡山県の桃畑が一番多い、とてものどかな、山間の町で育ちました。

 

福岡生まれの頑固な父と大阪生まれのお笑大好きな母、おしゃべりが止まらない4歳下の弟と、自然のいっぱいある団地で、家族4人、穏やかな毎日を過ごしていました。

 

家族みんなが穏やかでいられたのは、母のおかげだと思っています。

 

母は、大阪生まれの吉本新喜劇が大好きな生粋のボケ体質。いつも、突っ込んでもらいたくてボケ続けている、笑いの絶えない、「関西おかん」です。

 

私が今、米粉パンをお伝えしているのは、実は母の影響なんです。

母が小さな頃、一緒にたくさんお菓子やパン作りをしてくれたからなのです。

 

母が教えてくれた手作りの幸せ

 

幼少期の私は、母とお菓子を手作りすることが、とーっても楽しくて。

出来上がってから一緒に食べる時間がとても楽しかった記憶があります。

 

私が大人になって、初めて聞いた「母の夢」の話があります。

 

ちょっと聞いてもらえますか?

 

母は父親を1歳の頃、胃がんで亡くしました。

祖母は母を預け、必死に働き、家族バラバラな時期も経験してきました。

 

祖母が亡くなったときに叔父に聞いたのですが、住み込みで食堂で働いたりしていたそうです。兄弟離れ離れですごしていたこともあったとか。

 

私が小さな頃、「お母ちゃんの将来の夢はなんだったん?」

 

と何度も聞いたことがあるのですが、

「お嫁さん♪」

って、ふざけていうことしかしなくて。

 

「もーーー!ほんとうはなんだったん?!!」

と聞いても、お嫁さんとしか言わないんです。

 

それはふざけていたのでもなんでもなく、母の夢は、本当に、お嫁さんだったことを、私が大人になって知りました。

 

母は、小さなな頃、家族バラバラで過ごしていたから、

 

自分がお嫁さんになって、家族皆で1つ屋根の下に暮らして、「みんなで一緒にご飯を食べられる家庭を作りたい」と思っていたそうです。

 

普通だけれど、当たり前なんだけれど、それが母にとっては、でした。

 

自分が母親になったら、「子どもと一緒にお菓子作りがしてみたい」と思っていたのだそうです。

 

母は、21歳で結婚して、私と弟を出産。

 

私たち兄弟と一緒に、母は、幼い頃からの「夢」を叶えてくれました。

 

秋のちょっと肌寒い頃には、家に帰ったら、ほっかほかのパンプキンパイが焼いて待っていてくれたり、

 

休みの日には、一緒にパン作りに挑戦したり。

 

家族がお誕生日には、

一緒にケーキを作って、お祝いをするのが定番。

 

形はどれもブッサイクだったけど、とっても温かくて美味しかったです。

 

穏やかな時間が、何より、大切な宝物になっています。

 

私も母親になったら、子供達に同じようにしてあげたいな。

 

一緒にお菓子を作ったりお誕生日パーティーがしたいな。

 

幼いながらに、そんな風に思っていました。

 

でも、その母の手作りのお菓子は、私のせいで、ある時、我が家のテーブルから姿を消してしまいました。

 

私は、小6の頃、摂食障害、拒食症になってしまいました。

お菓子は太るから食べたくない。

食事も食べたくない。

 

 

そんな時も、

母親は無理に、食事を食べなさいとか、そんなことは何も言わず、キッチンに行くと、「食べたいもんないか?」とよく、笑顔で聞いてくれました。

 

ですが、私は、自分の誕生日が近づいてきたある日…私は大きな罪を犯してしまったのです。

 

「今年のケーキはどうする?」と、母が聞いて聞きました。

 

その時私は、

 

「ケーキなんていらない!!」と、強く言ってしまったんです。

 

でも母は…何も言いませんでした。

 

その時から、母の手作りのお菓子は、我が家の食卓から姿を消しました。

 

当時は母の夢を知らなかったので、「とんでもないことをしてしまった」ということに、気がつかなかったのです。

 

大人になって、「本当の母の夢の話」を聞くまで、ことの重大さに、気がつきませんでした。

 

母親のような母親になりたい「不妊と流産」

 

私は「多嚢胞生卵巣症候群」という、排卵障害を持っていました。おそらく、摂食障害の影響で、ホルモンバランスが崩れ、生理が中一から高3まで止まり、一時薬で再開したものの、結婚したと同時にまた、生理が来なくなってしまったのです。

 

ホルモン剤などによる治療、不妊治療、8週目での稽留流産などを経験し、ようやく着床、安定期を迎え、自分の子供に出会えることに。

 

その時、お腹を撫でながら、どんなことがあっても、強く、暖かく見守ってくれた、「母のような母親になりたい」と思いました。

 

この子が生まれたら、母のように、子どもに手作りの幸せの時間を伝えていきたいと思うようになりました。

 

そして、「手作りの幸せ」を、自分の子供たちだけでなく、たくさんの親子に伝えられたら…

 

母の「子どもと手作りのお菓子を作りたい」という夢を、子どもである私自らの手で絶ってしまった、自分の犯した罪を償うため、母からもらった幸せを多くの人に伝えるため、自宅パン教室をやってみようと決意したのです。

 

小麦アレルギーになって「米粉との出会い」

 

娘が、0歳の時に開業準備を始め、1歳を迎えた頃、娘を抱っこ紐でおんぶしながら、小さな自宅パン教室を始めました。

 

しかしながら、

程なくして、パン教室をしているのに、自分自身が小麦アレルギーになってしまいました。

 

その時は落ち込みました。やっぱり、は、自分の子供達と、パンやお菓子を作ってはいけない運命なのかな…神様にそう言われている気がしてなりませんでした。

 

せっかく自分のやりたい夢、仕事を見つけたのに、またもや、大切なものを奪われた気分でした。

 

アレルギーになってからは、周りからの冷たい対応に、悲しくなってしまうことも多かったです。

 

飲食店では、「食べられるものはないから帰って」と冷たく言われたりもしました。

 

社会的な風当たりが強く、理解してもらえない状況に悲しくなりました。

 

「大人だったら、仕方ないと、割り切れるかもしれないけど、子供たちが飲食店でこんな対応を受けたら?」

 

「こんな対応を受けた子供のおかあさんはどんな気持ちになるの?」

 

「…そうだ!米粉だ!」

 

私は、9年前、娘がまだ0歳の頃、アレルギーになる前に、奇跡的に、米粉パンを作ったことがあったのです。

 

私は米粉を買い漁り、「自分のように、アレルギーで悩む人のために!」と、米粉のパンとお菓子をひたすら研究しました。

 

下の子が生まれる寸前まで、陣痛の中でも米粉パンを焼いていました。

 

2016年の11月の肌寒くなってきた頃、下の子の陣痛が来ました。午前0時過ぎ、家族が寝静まった頃、オーブン中のオレンジの光に包まれた米粉パンを見ながら、「あー、間隔が一定になったな…痛いなあ…そろそろか…」と病院にいく覚悟を決めたのを覚えています。

 

大事なレシピの開発中で、米粉カンパーニュを作っていました。

 

 

施策をどうしても1日後に確認したいからと、入院バッグに詰め込み、出産後、病室に戻り、試作のパンを食べました。

 

どれだけ、米粉馬鹿なんでしょうね笑

 

「パン教室をするためには、私は、米粉パンを作るしかない。」

母への感謝の気持ちを早く形にしたくて、必死だったのです。

「絶対にやってみせる。絶対にできる。」

自分に言い聞かせていました。

 

下の子のアトピーと米粉パン

 

でも、ここからが、本当の戦いだったのです。

 

下の息子は、生まれてすぐから、アトピーだと言われていました。

 

「痒い」まだ言えない0歳の息子は、泣くことしかできません。

泣き喚く息子を抱え、滲出液と血でぐちゃぐちゃになりながら、授乳をする毎日でした。眠れないし、本当にきつかったですね。

 

私の下着はいつも、血だらけでした。

 

私の昔のひどい食生活のせいで、きっとアトピー になってしまったに違いない…

 

どうにかして、息子を楽にしてあげたいと、食と身体について勉強を始めました。

 

 

そうしていくうちに、米粉とはいえ、パンやお菓子は油を使って焼き上げられているものなので、アトピーには良くないという事実を突きつけられました。

 

「今まで良かれと思って、米粉のパンやお菓子を伝えてきた受講生さんのお子様が、苦しんでいたらどうしよう…」と、一人ひとりの顔が頭に浮かび、罪悪感に駆られました。

 

 

答えがわからず、

いっぱい悩みました。

いっぱい泣きました。

 

「健康」と「楽しさ」を両立できないだろうか?

 

私は、自分の不妊治療をきっかけに、食事で体質改善をしていました。昔は多嚢胞生卵巣で、無排卵でしたから、自力で生理が来ることはなく、医者からも、一生ピルなど使わないと生理は来ないだろうと言われていましたが、食事と生活習慣を改善したことが功を奏したのか、奇跡的に生理が毎月来るようになったのです。

 

 

自分のアレルギーという経験と、自分の体質改善と、息子のアトピーという経験を通して、「健康」と「楽しい」を兼ね備えたレシピ開発をしていこうと心に決めたのです。

 

私の作る米粉のレシピの特徴は、

「ノンオイル」や、「低脂質」、「甘味料を最小限」でも、

「家族にも美味しいといってもらえる」ことです。

 

「健康的だから、美味しくないのは仕方ないよね。」

 

と、思われると、家族で楽しむことができず、家族バラバラのものを食べなくてはいけなくなる。それでは、いくら健康に配慮していても、「寂しい」ものになってしまいます。私のレシピのこだわりは、「健康と楽しさの両立」にあるのです。

 

「先生に教わった、米粉パンのおかげで、

みんなと一緒に給食が食べられています。先生のおかげで、毎年、お誕生日にお祝いをしてあげられています。

 

 

仕事復帰しても、休みの日には子供達と米粉パンを楽しんでいます。ありがとうございます。」

 

そんなメッセージをいただくのです。幸せですね。

 

レシピだけでなく「ビジネスも教えよう」と決意

 

「健康」と「楽しさ」の両立したレシピを求めてきてくださった1人の受講生さんと出会いが、私が「ビジネスを教える」ようになったきっかけです。

 

その1人の方は、私の米粉レシピに「人生」を掛けてくれました。

 

その方と、初めて出会ったのは、7年前。

 

見ず知らずの私の講座に飛び込み、コツコツ学び続けてくださり、2年掛けてオンラインで、認定まで頑張ってくれました。

 

そして、初めてお会いした時…告白してくださったのです。

 

「私は癌です。転移しています。」

 

「子どもたちにアレルギーがあります。娘は、パティシエになりたいという夢があるんです。」

 

「子どもたちのために、先生のレシピを残してあげたい。」

 

「先生のレシピは、身体のことを考えてくれている。

他にはない米粉レシピです。だから、必要な人にも届けてあげたいんです。」

 

 

と、お話くださったのです。

私は、びっくりして、数秒、彼女の顔を見つめて、固まってしまいました。

 

「でも、長く生きるつもりですよ。」

 

と、にっこり穏やかに微笑んだ彼女の顔は、今でも忘れることができません。

 

いつも頑張っていた彼女。

「そんな理由があったとは…」

 

私はその日、なかなか眠れなかったのを覚えています。

 

文字通り、彼女は、私の米粉レシピに、「人生を掛けて」くれました。

彼女とは、いろいろな話をしました。

 

彼女が、「アレルギーがあっても夢を叶えられる専門学校があったらなぁ…」

 

というので、「じゃあ、いつか、一緒に作りましょう!」

 

「え??本気ですか?笑」

「本気っすよ。いきましょう!決めた!」

という、夢みたいな会話もしました。

 

でも、そんな日は長くは続きませんでした。

 

3年前の夏、彼女の容態が思わしく無くなっていきました。

 

身体が痛い。

起きてられない。

 

そんな中でも、「私のレシピを伝える」と、レッスンをしてくれていました。

 

でも…そこから2週間後。若くして、40代でこの世を去ってしまいました。

 

亡くなってから、初めて、彼女の家に伺いました。オンラインショップを開くといって、自宅をリフォームし、販売のための工房も作っていました。

 

「ネットショップのサイトできました!」と、嬉しそうにメッセージで報告してれたのを思い出しました。そこの工房に立って、こちらを見ながら、「夢が叶った」といつもみたいに穏やかに笑っていて欲しかった。

 

ご位牌に手を合わせた時、悔しくてたまらず、涙が溢れてきました。

 

「もっとやりたいことがあっただろう。」

 

私は、彼女に、レシピしかお伝えしていません。

 

私は、彼女にレシピはお伝えしたのですが、当時は、レシピ商用利用の資格のみだったので、ビジネスに関しては、お伝えしていませんでした。

 

今、もし、時間を戻すことができるなら、彼女に、きちんと「ビジネスまで」お伝えしたい。

 

「米粉のパン教室の夢を叶える」ために、「米粉の先生として活躍できる」ように、マーケティングやセールス、ブランディングをしっかりお伝えしたい。

 

「教室開業の夢を叶えたい」人をサポートすると決意し、レシピだけでなく、ビジネスも、誠意を持って、お伝えしていくことを決めたのです。

 

 

料理教室の先生のセールス力を上げる

 

ヘルシーライフデザイン協会を立ち上げ、米粉パンの認定講師を育成しています。

 

そこでビジネス指導も行っています。

 

 

料理教室業界では、レシピや資格を取ったのがいいが、

「売れない」と悩む人が多いのです。

 

「押し売りになりそうで怖い」

「どうやっておすすめすればいいかがわかならい」

「リピートしてもらえない」

 

料理教室業界では、せっかく体験レッスンに集客したのに、本当に買って欲しいレッスンが売れない…という、悩みが多いのです。

 

その原因は、「集客すれば、売れる」と思っているからです。

 

料理教室の運営には、

「セールス力」が必要だということは、多くの方が知らない現実です。

 

私は前職の百貨店の社員で、アシスタントセールスマネージャーとして、接客の指導や管理をしてきまました。

 

さらに「購買心理に基づく営業台本を作成し成約率を80%」にする営業セミナーを運営しているミリオンセールスアカデミー(R)にて、営業を体系立てて学び、台本営業®︎トレーナーとして認定を受け、営業指導にあたっています。

 

売ることが苦手な人でも、成約率8割を目指せる再現性のあるセールスのやり方をコンサルティングでサポートさせていただいています。

 

開業初期は、集客のがずが少ないもの。

 

少ない中でも、リピート率、成約率を上げることが、教室を継続させる種には重要なのです。

 

セールスの重要性をお伝えする料理の先生は、あまりいませんが、そこは、非常に大事な部分なのです。

 

本当の「売る力」を身につけていただき、教室を成功させ、夢を叶えていただきたいと思っています。

 

 

最後に

 

 

私は、たくさんの方から、気づきをいただけたので、今の仕事に出会えたと思っています。

 

今私がこの仕事ができているのは、周りの人のおかげです。

 

日々、感謝の気持ちを忘れず、健康と食を伝えていきたい方のサポートをしていきたと思っています。

 

「ココロとカラダとツナガリを大切に」をテーマに、ヘルシーライフデザイン協会を立ち上げ、代表理事として、認定講師の皆さんと一緒に活動しています。

 

 

 

弊社の社名は、

株式会社dreaminです。

 

みんな、それぞれ夢を持っている。

みんなで夢を創り、夢を共有し、夢を叶えよう。

 

 

という、意味が込められています。

 

夢、叶えましょうね!

 

株式会社dreamin代表取締役

ヘルシーライフデザイン協会

代表理事みやなりちあき

ヘルシーライフデザイン協会が提供 米粉パン講師として活躍するための技術と運営の知識を学ぶ

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